学校が《最先端》であることは、学びが「人が生きることと一体化している」ことを意味します。

110709学校の中で好きな風景の一つ・・・

玄関ともいえる前庭正面に建つ1号棟(写真右)と、食堂やICT教室のある4号棟(写真左)の間をグラウンド側から見上げると、校舎をはさむようにして、真ん中に高く空が抜けています。

毎日、校舎間を行き来するたびに、何回となく見上げる光景です。

この時期に出会う、高く透き通った「夏の青空」。その力強さに、今朝も「よし、がんばろう!」って元気をもらいました。

☆☆

いろんなところで何回となく言っていることですが、「学校は《最先端》であるべきだ」というのが、僕の持論です。

今から40数年以上も前のことになりますが、私が小学生だった頃、滋賀県の片田舎では、家にないものが学校にはたくさんありました。

大阪で万国博覧会が開かれたのが1970年、ちょうど小学校5年生の時でした。小学校の理科室には、SONY製のオープンリール・ビデオデッキが鎮座していました。オレンジ色があしらわれた筐体がなんとも格好良く、モノクロの映像教材を先生が再生してくれる時間がとても楽しみでした。

「さすが、学校ってところはすごいなぁ~」。それだけで、学校の存在意義というか、偉大さや権威が感じられました。

ところが、今はどうでしょう。

技術革新が進み、いろいろな商品の価格が下がり、最先端の機器が家庭でも簡単に手に入るようになりました。むしろ、個人(家)の方が学校より一歩も二歩も先に行っていて、パソコンやビデオ、デジタルカメラなど、「学校で使う機器よりも、家にある方が新しくて高機能だ」という現象が、一部の学校を除いて、むしろ当たり前になってきています。

加えて、校舎などのハード面・・・洗面所やトイレ、建物の照明・空調など、地域や公私の別などで大きく違いますが、学校以外のところの方が「きれい」で「快適」な空間だという部分はたくさんあります。

さらには、こういったハードに限らず、ソフト面というか、物事の考え方や体制みたいなものまでが、世間から見れば「学校は遅れている」と言わんばかりの論調が賑やかで、何かにつけ、そういった「社会とのズレ」が世間に語られ、印象づけられているようにも思います。

もちろん、崇高な教育理念の下、いくら校舎がボロボロで、設備や環境が整っていなくても、立派な教育はできると思います。しかし、それは極めて限定的な条件の学校であって、ここまで物質的な豊かさや便利さを味わってしまった今、その学校の存在価値がきちんと認知されていなければ、なかなかそういう意識には至りません。

貧しい生活の中、苦学して云々・・・という時代を否定してはいません。教育には、そういった「精神的な部分」が絶対に必要だとは思います。

しかし、もっと教育に「ココロ(heart)」と「モノ(hard)」をかけて、学校というところが良い意味で「羨望の対象」となるような、《最先端》の環境をつくっていく責任が、我々にはあると思っています。

決して、「楽(らく)」をするとか、「手を抜く」とか、そういった意味の《最先端》ではありません。学び手のココロに訴えかけるような、感性を呼び起こさせるような、さらに知識を吸収して、自分を高めたくなるような・・・そんな誘いを与えてくれるような《最先端》の学びのシステムや空間デザインが、学校には必要です。

もちろん、それにはお金が要ります。でも、お金をかけて整備すればいいと言うことではありません。

お金=モノ以上に大切な「想い」が、そこには絶対に必要です。

幸い、人の縁を活かし、知恵を絞り、自ら一歩を歩み出せば手に届く《最先端》が、いろいろなところに芽吹きはじめました。そのおかげで、お金ありきの議論から、少し違った視点で物事が見えるようになりました。そして、それが実を結び、今年度、いくつかの新しい学びの場を創り出すことができました。

ありがたいことだと、感謝しています。

また、一方で学校が《最先端》であることは、学びが「人が生きることと一体化している」ことを意味します。

学校で学ぶことが、単なる入試を突破するためだけといった、狭くて特殊なものに終始するならば、そこに意欲や価値を見出すのは極めて困難です。かつての高度経済成長期ならいざ知らず、リアルな生活感に根ざした、生きることに連動した「ホンモノの学び」でないと、もはや通用しません。

それを一番よく知っているのは、学びの主人公である子どもたちです。

今こそ、学校の門を広く開け放ち、社会や日々の暮らしに溶け込んだ、たくましく生きるための「知恵と力と勇気」を育んでいける場を、単なる教科書や受験という狭い範疇で縛ることなく、もっと夢のあるワクワク感を語りながら創っていきたいと考えています。

学校が《最先端》であることは、学びが「人が生きることと一体化している」ことを意味します。」への1件のフィードバック

  1. 坂本靜泰

    Facebook でお世話になっている坂本です。万博の時、私は小4でした。あのワクワク、ドキドキは今もわすれませんし、なんか新しいことがあれば興奮します(笑)。
    今、学校は、文化後進になっている感は否めませんせ、実際にそうなっています。でも、学校が他に無い力は、人と人を繋ぐことや集団と自分の有り様を体験させ、より豊かな創造ができるように導けることだと思います。文字で伝えることに限界がありますので、是非、お会いしてお話させていただきたいものです。機会を逸したのは私ですが…。必ず機会を、(次は逃さずに、ですが)つくりたいと思います。引き続き、刺激を与えてください、よろしくお願いいたします。

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