ボクは授業で教科を教えるつもりはありません。人生を語りたいんです。

最近の子どもたち・・・。「夢」がないのか、あるけど語れないのか。どうも現実的で、あきらめが早い。

ほら、もっと・・・こう、未来に向かってさぁ・・・

夢を紡ぐような言葉を投げかけてみても 、返ってくるのは決まって「どうせ○○○やん」って、素っ気ない返事ばかり。

そうかなぁ、そんなことないと思うんだけどなぁ・・・

極端な話、明日がどうなるかなんて誰にもわからないわけだし、今までフツーの中高生だった人が偶然、街で声をかけられたことが縁で、気がつけばアイドルになっていたっていうことだってある。

今まで嫌いだった英語の勉強にしても、海外留学をきっかけに英語に興味を持ち、検定にもどんどん挑戦。合格したら欲が出て、さらに勉強を積み重ね、やがて海外を飛び回ってバリバリ仕事をしているかもしれない。

それが人生ってもんでしょ!

どうして、頭の中だけで結果を決めつけるんでしょう。

やってみなくちゃわからない・・・
やれば違った結果が見えてくるかもしれないのに・・・

ずっと、教師としての自分に言い聞かせていたことがあります。「生徒と、ともに未来を語れるのが教師だ」と。

また、決まって最初の授業に言ってきたことは、「ボクの授業は、教科の内容を教える時間ではありません。教科をとおして人生を語る時間です」。

もちろん、今でもそれは生徒と接する原点になっています。

どうして素直に未来を語ろうとしないの?
未来はそんなに暗いの?

子どもたちの 「あきらめ」 気分にメスを入れて、一緒に未来を語れる教師でありたいと思います。

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