いろいろな方とお話しさせていただく中で、学校のあり方というか、将来の学校像について語ることが少なくありません。
私の基本姿勢は、「開かれた学校であること」。
言い換えれば、「学びの対象(生徒)と場所はこちら(学校側)が用意するので、どんどん教えに来てください」ということになるでしょうか。
あらかじめ用意された「与えられる学び」ではなく、自己責任において「自ら創り出す学び」への転換と言ってもいいかもしれません。
先日、Facebookにこんなことを綴りました。
教科の学習や生徒会、クラブ活動、地域活動など、生徒の学びを全て「project」として捉え、クラスや授業などの固定化された枠組みではなく、その時々で「何をしたいか」によって柔軟な集団(チーム)をつくり、お互いに学び合っていくようなスタイルの学校が創れたらいいな。
先生は固定化された指導者ではなく、ファシリテーターとして project に加わり、学びをデザインしていく役割を担う。もちろん、学校内部の人財だけでは足りないので、積極的に外部リソースとつながり、project に相応しい人財を just in time でチームに迎える。
1つの project が当初の目的を達成すれば、そのチームは解体し、新たな学び(やりたいこと)で新たなチームをつくっていく。
そうやって、必要な時間や空間を自由にアレンジしながら、ダイナミックに進めていける project 単位の real life な学び。
どう、ワクワクしない?
既存の「学校」という枠組みが、近代工業化時代に最適化されたカタチである以上、すでに過去のもの(私は、敢えてそのシステムが「破綻している」と言っていますが)になっているにもかかわらず、それを冷静に捉え、改善していく流れがどうも日和見になっているような気がしてなりません。
このまま、どこまで旧態依然としたカタチを踏襲していこうとするのか・・・
本校はいち早くその流れから脱し、学びの主体である子どもたちのために、必要な改革を進めていくことを、昨年の創立記念式典で宣言しました。
初めてのコメントになります。
安居先生の記載されている学校のイメージが、
自分が将来的な夢として描いている学校(を作りたいという夢)に
限りなく近いものだったので、あまりのこのしっくりとした感覚に、
コメントを書いてしまいました。
初等教育では、若干こうしたプロジェクト活動に必要な小さな経験を
積んでいくイメージです。
班→グループ→クラス…
こうした規模で、地元地域→市町村→県→地域…
関係する外の規模も大きくしつつ、企業とも接点を持ちながら、
必要なことをプロジェクト活動として積み重ねていきます。
必要な教科としての知識も、最初は集団での学習もそうですが、
だんだんとオンラインで自分で獲得できる。
むしろ、集団活動や人格形成の面で、低学年のうちは
必須となる学校での滞在時間は毎日必要かなと。
でも、学年が上がればそういったマストな登校時間も減りつつ、
プロジェクト活動の規模が大きくなり(部活や行事もプロジェクト)、
中学や高校では、さらに大きな規模のプロジェクト活動の実践の積み重ね、
その中で、自分の専門性として磨きたい学問が見えれば、高等教育機関へ進学、
社会で起業したり、ビジネスの世界でチャレンジしたければ、
高校卒業時には、それまでのプロジェクトの規模の延長上で、
社会で即戦力というか、自ら社会に貢献できる力を備えているでしょう。
そういう、究極はプロジェクトベースで、地域や社会と接点の多い(開かれた)
学校というものを作りたい(学びの場ですね)と私の中でイメージしています。
いまは、私立の中高一貫校で教員をしておりますが、
現場経験を積みながら、自分の人脈や教育実践のナレッジをためつつ、
様々なことを考えております。
安居先生とも、ぜひ、こうした意見交換などできれば幸いです。
(今回はFacebookの別の繋がりから先生のblogを拝見できました)
民間教育の立場から先生の記事を拝読すると。
学校って
よい言い方をすると社会から守られている。
悪い言い方をすると高度経済成長時のシステム。
小中学校の義務教育という縛りも含めて。
学校あっての民間教育ですが、義務は変化しないのか?
半数以上が共働き
年々増えるデジタルネイティブ
少子高齢化
外国人の移入
多様化は始まっているので一つにまとめようとしない社会が存在している。
2次の父という観点から
地域に貢献したいが、どんなところで活動できるか。未来永劫、土曜参観くらいだろうか。ボランティアや、PTA等々先生のおっしゃる短期長期のプロジェクトがそれぞれあってもいいと思う今日この頃です。