カテゴリー別アーカイブ: 生き方・考え方

学校で子どもを育てるには、家で子どもを育てている「親」に学ばなければなりません。

学校で、先生に反抗してばかりの子どもがいました。
・・・家で、何かにつけて親からきつく言われているのかもしれません。

学校で、友だちをいじめてばかりの子どもがいました。
・・・家で、お兄ちゃんから一方的に責められてばかりいるのかもしれません。

学校で、何でも先生がしてくれるのをずっと待っている子どもがいました。
・・・家で、何から何までお母さんが手を出しているのかもしれません。

学校で、いつも自分が一番でなきゃ気が済まない子どもがいました。
・・・家で、兄弟の誰よりも先に自分のことをしてもらっているのかもしれません。

学校で、まわりから自分がどう見られているかをすごく気にする子どもがいました。
・・・家で、近所の評判ばかりを気にしているお母さんがいるのかもしれません。

学校で、困っている友だちにいつも優しく接してくれる子どもがいました。
・・・家で、寝たきりのおばあちゃんの世話をすすんでやっているのかもしれません。

学校で、
・・・家で、

学校で目にする子どもたちの姿。それを表面的に捉えるだけでは、なぜそうなのか、どうしてそんなことをするのか、わからないことだらけです。

でも、ちょっと深く踏み込んで、家での様子、親や兄弟との関わりなどを具体的に聞いていくと、霧が晴れたように見えてくるものがあります。

「なんだ・・・、そういうことだったのか」
「そりゃ、あんなふうになるのも当然やね〜」

気持ちの揺らぎは、行動の端々に顔を出します。注意深く観察していなくても、子どもたちの方からサインを出してきます。ちょっと接するだけで、「あれっ、どうしたんやろ〜?」と思うことがいくつもあります。

ボクは、その原因を学校の中だけで探すのは難しい。というより、学校の中だけで探さないほうがいいと思います。

「学校で起こったことやん。原因は学校にあるに決まってる」
「学校で解決しなくてどうするの?」

確かに、そうでしょう。

でも、学校でのいろいろな出来事の多くは、その背景に「学校の外(=家庭)」の存在があります。

家でどんな過ごし方をしているか、どんな親子関係なのか、近所との付き合いはどうか、兄弟は? おじいちゃん、おばあちゃんは?

なかなか踏み込めないところかもしれません。そこまで関わる必要はないのかもしれません。一歩踏み込んだら最後、とことん付き合うハメになってしまうかもしれません。もしかしたら、関わったがために自分までがボロボロになってしまうかもしれません。

でも、子どもたちが学校で見せた姿に、疑問や不自然さ感じるのなら、とことんその原因を探っていくべきだと思います。

子どもに寄り添うためには、その子の生活に思いを馳せなければいけません。子どもを理解するためには、その子を取り巻く環境を知らなければなりません。

学校で子どもを育てるには、家で子どもを育てている「親」に学ばなければなりません。

ボクは授業で教科を教えるつもりはありません。人生を語りたいんです。

最近の子どもたち・・・。「夢」がないのか、あるけど語れないのか。どうも現実的で、あきらめが早い。

ほら、もっと・・・こう、未来に向かってさぁ・・・

夢を紡ぐような言葉を投げかけてみても 、返ってくるのは決まって「どうせ○○○やん」って、素っ気ない返事ばかり。

そうかなぁ、そんなことないと思うんだけどなぁ・・・

極端な話、明日がどうなるかなんて誰にもわからないわけだし、今までフツーの中高生だった人が偶然、街で声をかけられたことが縁で、気がつけばアイドルになっていたっていうことだってある。

今まで嫌いだった英語の勉強にしても、海外留学をきっかけに英語に興味を持ち、検定にもどんどん挑戦。合格したら欲が出て、さらに勉強を積み重ね、やがて海外を飛び回ってバリバリ仕事をしているかもしれない。

それが人生ってもんでしょ!

どうして、頭の中だけで結果を決めつけるんでしょう。

やってみなくちゃわからない・・・
やれば違った結果が見えてくるかもしれないのに・・・

ずっと、教師としての自分に言い聞かせていたことがあります。「生徒と、ともに未来を語れるのが教師だ」と。

また、決まって最初の授業に言ってきたことは、「ボクの授業は、教科の内容を教える時間ではありません。教科をとおして人生を語る時間です」。

もちろん、今でもそれは生徒と接する原点になっています。

どうして素直に未来を語ろうとしないの?
未来はそんなに暗いの?

子どもたちの 「あきらめ」 気分にメスを入れて、一緒に未来を語れる教師でありたいと思います。

滋賀学園とのご縁をいただくまでの私自身について、少し・・・

今日は中学・高等学校の両方で、第1回のオープンスクールを開催させていただきました。

いずれも昨年を上回る参加者をお迎えでき、児童・生徒はもちろん、保護者の皆さんの真剣な眼差しに、身の引き締まる思いがしました。ご期待を裏切ることのないよう、日々精進、改善、努力を続けて参りたいと思います。

☆☆

さて、こういったご縁をいただくたびに、直前まで私が考えていることは、「未来を担う子どもたちや保護者に、いま、何を語りかけるか」ということです。

今日、私の話を直接お聞きいただいた皆さんに対し、本来であれば、そのベースになる「私自身の歩み」からお話しさせていただくべきだったのですが、時間の関係もあり、最近のトピックにウェイトを置き、紹介させていただきました。

なので、この場をお借りして、滋賀学園とのご縁をいただくまでの私自身について、少し補足しておきたいと思います。

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自分にとって「先生」と呼べる人・・・。なにも学校の先生に限ったことじゃありませんが、その人から大きな影響を受け、生き方や考え方、職業選択、あるいはその後の人生までもが大きく変わってしまうことがあります。

私が、教師という職業に就こうと思ったこと。それは、小学校1・2年の担任だった藤原先生の影響がイチバンです。もちろん、まだ小学生になったばかりの頃でしたから、その当時の私に、自分の将来についての具体的な考えなどあるはずがありません。でも、藤原先生から感じた「教える」ということに対する情熱、それは「思いやり」に満ちた「やさしさ」が基本なんだということ・・・。

当時、幼心に実感として伝わってきた、藤原先生の心のこもった真摯な態度は、その後、私自身が教師への道を選ぶ大きなキッカケになったように思います。今でも、子どもと接するときの藤原先生のキラキラと輝いた、楽しそうな顔を思い出します。

次に、本を読むことが好きで、文章を書くことが苦にならないこと。これは、中学校の国語の先生が大きく影響しています。中野先生というこれまたオバサマ先生でしたが、単に教科書の内容を説明したり、語句の解釈をするだけではなく、何とも言えない語り口調で、物語のすばらしさ、自分の気持ちや思いを文章にする楽しさ、そういったことを繰り返し教えてもらいました。

そして、「どんな勉強も”国語”が基本」「文章が理解できない、漢字が満足に書けないようでは、自分が困る」「毎日使う日本語がしっかり読み書きできずに、どうするの」「生きていく上で”国語力”が影響する部分ってすごく大きいんだから」・・・なんてことを、何度も何度も、毎日の授業の中で聞かされました。

さらに、これらの先生以外にも、理科が好きになるキッカケをつくってくれた村井先生。英語が嫌いになる原因(とはいっても、自分の勉強不足が一番大きいのですが)になった英文法の先生など、中学から高校、大学にかけて、本当にたくさんの先生に影響されつつ、今の自分があります。

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いよいよ就職が目の前にやってきた大学4年生の時、希望する私学教員(公立教員になるつもりは、最初からなかった)の道に恵まれず、趣味の延長線上で某印刷会社のデザイン職に就くことを決めました。

年が明け、偶然にも理科の前任者が退職したというのことで、声をかけてくださった滋賀県内の私立高校で働けることになり、思いがけず舞い降りてきた教壇デビュー。

以後、20年・・・。山あり谷ありの毎日でしたが、それなりに楽しく、やりたいことを提案し、それを受け容れてもらいながら、前向きに過ごしていました。良き先輩や同僚にも恵まれ、自分が成長していくのが実感できる毎日でした。

そこに降ってわいた、地元でラジオ局を作るという話。

42歳。3人の子どもを抱え、家族もあり、よく考えれば無謀とも言える決断でしたが、何もないところから創り上げる魅力に惹かれ、飛び込みました。

何がそうさせたのかわかりませんが、ここで思い切らなければ、きっと後悔する・・・。そんな気持ちが、学校を辞め、新しい仕事に挑戦するという決断をさせてくれたように思います。

そして、ラジオ局の立ち上げに取りかかり、数多くの困難を乗り越えながら、なんとか開局までこぎ着けました。滋賀県初と評され、その世界では一応、それなりの脚光を浴び、新聞にも大きく取り上げていただきました

ところが、収入面や生活の実態はボロボロ。昼夜のサイクルが狂い、カレンダーとは無縁の勤務で、表向きの世界と現実の強烈なギャップ。というより、これでは家族が生きていけない状況に陥りました。

☆☆

泣く泣く、その世界から退き、パソコンの設定業務やウィルス除去、ソフトウェアの操作指導などを戸別に訪問する仕事を、個人事業としてやり始めました。業界では「オンサイトサポート」とよばれている仕事で、製品購入者に対して行われるアフターサービスの1つ、出張設定・修理サービスをさします。

Yahoo!BBやeo、NTTなどにインターネット接続回線を申し込むと、無料でセッアップサービスがついてきたり、パソコンを買った際、ウィルスに感染しても一定期間なら無料で除去してもらえる、あるいはジャパネットたかたでPCを買うと、接続からインターネット設定までついてくる・・・、そういったサービスです。

本来は、大手PCメーカー、家電量販店、インターネットプロバイダーなどが、自前でそういうスタッフを抱えるところですが、それではあまりにも効率が悪いので、そういった仕事を取りまとめて紹介してくれる会社がつくられています。そして、そこと契約して、仕事をしている人がいるというわけです。

各企業の社員ではありませんが、仕事をもらった先の名前で顧客に対応するわけで、かなり厳しい制約があり、接客マナーはもちろん、一定の技術レベルも要求され、定期的に審査などもありました。

当時の私は大阪にある2社と契約し、一日平均、個人宅なら午前に1件、午後に2件、夕方(夜)に1件の計4件のお宅を訪問し、仕事をしていました。エリアは、基本的に滋賀県内一円で、ときに岐阜や福井、京都などにも車を走らせていました。

WEB上にまとめられている依頼情報の中から、自分の行きやすいお客さんを探し、仕事を獲得していきます。その後、お客さんに電話して自分でアポを取り、訪問の時間調整をし、自家用車で回ります。作業内容もインターネット接続設定、トラブル診断・修復サービス、操作指導など多岐にわたり、クライアント企業によって、その作業範囲も料金も、報告書も微妙に違います。

同じような仕事をしている人(多くは、いわゆるSOHOなどの個人事業者です)が滋賀県内に数人いて、誰もが、簡単でやりやすく、報酬の高い仕事を競って取り合うわけで、毎日、PCとにらめっこしながら仕事を探し、訪問していました。

仕事がなければ収入はゼロ。いかに近場で、効率よく訪問できるところを探し、一筆書きのように現場を回って、スムーズに仕事を切り上げるか。すべてはそれにかかっていました。

いくら簡単な接続設定といえど、朝イチに湖北、昼に大津、そのあと彦根で、夜は草津・・・なんていう回り方では無駄が多いわけで、近くのお客さんを、いかに同じ日に組み合わせるか。当然、お客さんの希望日時が最優先ですから、そこはアポ取りがうまくならないと、どうしようもありません。

また、お客さんの目の前で、初めてふれる顧客のパソコンを操作し、その視線を浴びつつ作業をしなければならないという緊張感が、常につきまといます。もちろん「できません」「わかりません」とは口が裂けても言えません。こんなことぐらい簡単さ・・・というノリで、ささっと手際よくこなし、ついでにプラスアルファの操作説明なんかできたら、相手は大感激! ぜひまた今度もアナタに・・・ということで、好感度アップってことの繰り返しです。

仕事が終わると、そこで料金をいただく場合もあり、作業内容に納得してもらえないと、気分よく払ってもらえません。「え~、こんなに高いの?」なんて言われたら最悪です。

当然、こういったサービスにはつきものの「お客様アンケート」もあるわけで、満足度が高いスタッフには報酬の高い仕事、VIPなお客さんを優先的に回してもらえることになります。そんなスタッフには、急遽「今日、近場でもう一つこの仕事をやってくれない」と本社サイドから依頼があったりして、単価3000~4000円の仕事であっても、数が増えれば大きな収入になったりします。

年末年始など企業が連続休暇になるときなど、大手企業の本社や支社での仕事もありました。いわゆる法人のお客さまで、サーバ設置・メンテナンス、キッティング、POS端末展開なども、それはそれでなかなか面白く、得がたい経験となりました。ふだんは入れない超大手企業の裏側?を見られることもありました。

とにかく、その道のプロとして、お客様の目の前で仕事を完結し、その対価として報酬をもらう。仕事を回してくれた会社、そこと契約している企業が常について回り、両方に気に入ってもらわなければ、たちまち仕事がなくなる・・・。

挨拶、身なり(もちろんスーツにネクタイ。パソコンの裏側ってホコリだらけの家って多いので、靴下もすぐに汚れます。一日数足履き替えたこともありました)、言葉遣い、笑顔、スキル・・・など、アポ取りの電話から始まり、報告書を提出するまで、見かけ以上に「気を遣う」仕事でした。

その場で、お客さんの表情・反応がダイレクトにわかるので、自分の仕事がうまくいっているか、気に入られているか・・・などがリアルに伝わってきて、まさに「真剣勝負」。それも、自分の会社じゃなく、相手の家が仕事場なので、当然こちらは「よそ者」。相手の土俵で、相手の要求することを100%叶え、プラスアルファの作業をつけて、相手に返す。そして、満足をしてもらわなければならなりません。

どんな仕事にも通じる、「対人関係の基本」がそこにはありました。

☆☆

そんな時、あるところから声がかかり、経験を活かしてもう1つラジオ局を作ってくれないかとの依頼が舞い込みました。満足のいくところまでラジオの仕事ができていなかったこともあって、二つ返事で引き受け、しばらくはパソコンの仕事と両立させながら、何とか県内に2つ目のラジオ局を開局しました。

そしてある日、滋賀学園との「ご縁」が、このラジオから生まれました。

自分の番組のゲストコーナーに、当時の滋賀学園中高の副校長先生と中学の教頭先生が、中高一貫校のすばらしさを紹介しに来てくださったのです。

ご縁をいただき、今年で10年目を迎えた滋賀学園生活・・・

ある意味、私にとっても人生の集大成となるような仕事が、そこには待っていました。

(次回に続く・・・)

 

今や時代遅れ? 新しい時代の足かせとなる4つのアプローチ

昨夜から読み始めた、石倉洋子先生の新著『世界で活躍する人が大切にしている小さな心がけ』(日経BP社)

完璧を目指さない、時には鈍感になる、仕事は楽にする・・・。今日から、誰でもすぐできる、とっておきのノウハウが「28の小さな心がけ」にまとめられています。

とはいえ、単なるハウツー本ではなく、石倉先生がご自身の幅広い経験をもとに、そこで得た見方・考え方を丁寧に語ってくださっていて、まるで自分が同じ体験をしているかのような感覚で学ぶことができます。

キーワードは、「気軽に」「試してみる」「実践する」「続ける」。
つまり、reactive(受け身)ではなく、つねにproactive(自ら率先して行動する)という、「行動のすすめ」。

なるほど、そのとおり!
すぐにでも実践してみたくなります。

ぜひ、生徒も含め、多くの人に読んでほしい一冊なのですが、その背中を押す意味で、本の冒頭<はじめに>から、いくつかのキー・センテンスを紹介しておきます。

  ☆☆☆

刻々と変わる世界で「時代遅れ」にならないために

まず、5年先、10年先がどのような時代になるかを考えるために、10年前つまり2005年はどんな時代だったのかを振り返ります・・・

iPhoneは登場しておらず、フェイスブックは米国東海岸でスタートしたばかり。ツイッターやLINEはまだ生まれていませんでした。誰もが「今なにしてる?」に答えて、今いるところ、今一緒にいる人、今やっていることを友人や世界に知らせる、という状況が日本でも当たり前になるとは、想像すらできなかったのではないでしょうか。(P1)

そして今や、遠い世界だった、さまざまな国々の出来事がYouTubeやSNSで見聞きでき、誰でもその気になれば、いろいろなことにアクセスし、知識を得、経験できるチャンスが目の前に広がっている時代になりました。

さあ、その一歩を踏み出そう!

その前に・・・

今や時代遅れ? 新しい時代の足かせとなる4つのアプローチ

これからの時代は、何が今までと違い、どんな発想が必要なのかを押さえておかなければなりません。

これまで重要と思われてきた考え方、アプローチで今や時代遅れになりつつあると私が思うのは、次の4つです。

①既存のフレームワークを用いて世界を整理すること。

②過去のデータを分析して正しい答えを探すこと、よく考えて答えを見つけてから行動に移すこと。

③まず日本という身近な場で考えて、それから世界を目指すこと。

④日本で通用する基準があり、それに従って自分の力やポジションが評価・判断されるという考え方。よほど才能がある人や地位が高い人などでないかぎり、普通の個人にはあまり力がない、という考え方。(P4)

いやぁ〜、スッキリします。私自身、同じことを強く感じています。

これだけでは十分納得できないという人は、実際、本に書かれている具体的な説明を読んでいただければわかると思います。

で、私たちはどうしたらいいのか・・・

自分の市場価値を常に見きわめ、身近なところから始める

石倉先生は、こうおっしゃっています。

私は、「これまでの枠組みにとらわれないで自分で考えること」、「世界の変化を見ながら、自分の市場価値・ユニークさを常に見きわめ、磨き、それを表明すること」、そして「世界の可能性を取り込むために、少なくとも当面は、英語ができること」を提案します。(P6-7)

加えて、こうした活動を大仰な目標にして1年に1度行うというのではなく、

毎日身近なところからすぐ始めてみる、一時的にできなくてもあきらめずに続けて習慣にすることをおすすめします。(P7)

そうそう、よくわかります!

  ☆☆☆

と、まあこんな具合に、冒頭から元気モリモリになるような、力強いメッセージが続きます。

「どうせ無理」と言いそうになったら、「だったらこうしてみよう」と考える。お互いに、「できない理由」を探すのではなく、「できる方法」を見つけ出していくことを実践していこうとする私たちにとって、最高のバイブルとなる一冊です。

ぜひ手にとってほしいと思います!