今日の1〜3校時は、スタディサプリの数学講師・山内恵介先生による熱血授業!
Ⅱ類・高1と高2の数学を1時間ずつ、その後中学生には学び方について1時間、わかりやすくストーリーのある、熱い授業をしていただきました。
生徒たちの理解度を確認しつつ、ポイントを押さえながら、いかに「自分のアタマを使い」「記憶に残る」授業にするか・・・。
サプリの画面から飛び出した、リアル山内先生から学ぶことがたくさんありました。
ありがとうございました!
そんな言葉とともに、
ステキな記事にまとめていただいた「高校野球ドットコム」さんの試合レポート
滋賀学園vs報徳学園
「夏ベンチ外の男がここ一番で快投!報徳学園を完封した棚原の巧みな投球術!」
ホント感激です。
ありがとうございます。
☆☆
チームの雰囲気が、さらに良くなってきたこと。
さまざまな場面で選手たちを見ていて、
私も、それを感じています。
そんな雰囲気を、
「自分たち」でつくれるようになった選手たち。
大切なものを、一人ひとりが掴みはじめたようです。
さらに、どんな「成長」を見せてくれるか・・・
大いに楽しみです。
今日から7月。
梅雨空の毎日が続いていますが、着実に暦は進み、1学期の締めくくりをする時期になりました。
高校では、今日から期末考査が始まりました。中学校では、2年生が2か月間のニュージーランド海外研修に出発します。それぞれの生徒が、自分の置かれた場で「いま自分がなすべきことは何かを見極め、それ対して真摯に向き合ってほしい」と思います。
☆☆☆
さて、先月のことになりますが、ちょっとしたきっかけが実を結び、Books&Apps というサイトでブログを書かせていただくことになりました。だいたい週1回ペースで、これまでに5回投稿しています。
書き始めて1か月。改めて、一歩を踏み出すことでカタチになる「人の縁」を実感していることろです。
ここで私がやろうとしていることは、日常の出来事から感じたココロの揺らぎを、できるだけシンプルなストーリーとして伝えること。
読んでくださった方が、その揺らぎを自分の波動に合わせて受け止め、自身の行動を変えるきっかけをつかんでいただけたらと思っています。
実際、どんな感じなん?
以下、2回目の投稿を紹介します。ご一読いただき、ご意見・ご感想等いただければ幸いです。
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娘に「私はまだ足らんねん。だから、もっと勉強せなあかんねん」と自発的に言わせた先生の指導とは。
☆
理学療法士をめざしていた娘が病院での二か月間の実践研修を終え、家に帰ってくるのを迎えに行った時のこと。
ふだんからよく話をしてくれるとはいえ、芸能ゴシップや友人、身の回りのことぐらいしか話をしない娘が、久しぶりに《大人な話》を自分からしはじめた。
鳥取から滋賀まで、高速道路を使いながら移動していた車内で二人っきりという状況が、自然とそんな雰囲気をつくったのかもしれない。
「研修がこんなに楽しかったのは、初めてやわ!土曜日は病院が休みなんやけど、自分から行きたいってお願いして、勉強しに行ってたし・・・」
ほぉ〜、我が娘にしてはえらく前向きやなぁ。そんなことおまえから聞いたの、それこそ“初めて”や。
「この研修の最初3週間は、自分は宙に浮いていたと思うねん。何をやっていいのかわからへんし、指示されてもうまくでけへんし、自分がこの仕事に向いてないとしか思えんかって、すっごくつらかった」
どうやら、講義で習ったことや教科書に載っている知識だけでは実際の現場で対応しきれず、意欲が空回りして、自信をなくしていたらしい。
こんな自分ではダメだ、何とかしなくちゃと思えば思うほど、行動が消極的になり、失敗を恐れていく・・・。そして、どんどん内に閉じこもり、自分を開かなくなっていったという。
「でもな、それをピタリと言い当てたのは誰やと思う?指導担当の先生やねん、今がおまえの変わり時や、実際にやってみて学ぶしかないやろ、って」
娘はどちらかといえば完璧をめざすタイプで、一か八かやってみるということがなかなかできにくい性格。加えて、失敗するかもしれないと思うと、前に進めなくなるのが短所だった。
しかし、それでは進歩がないことを先生は見抜き、ここがチャンスと変容を迫ってくださったようだ。
娘によれば、今回指導を担当してくださった先生はかなりの名医らしく、先生目当てに治療にくる患者さんがたくさんいるのだとか。患者のことを何よりも思い、治療技術も折り紙つき。この先生にかかると、確実に痛みが取れるらしい。
そんな先生に対し、当然、患者さんは全幅の信頼を置き、感謝をする。自分の一番してほしい「痛みを取ってくれる」ことを、確実にやってくれる。たとえそれが少々手荒くても、何時間待っても、結果が出るのだから誰も文句を言わない。
「おまえが自分を開かんかったら、教えたくても教えられん」
「失敗を怖がって、できる範囲のことだけしかやらなかったら、絶対に成長はないから」
「そのためには、今できない自分がそれをできるようになっていくしかない」
「だから実践の場で勉強するんやろ」
「一生懸命学ぶしか、そこから抜け出す道はないんや!」
そんな言葉を幾度となくかけられ、「治療する」ということの意味を身をもって学ぶことができ、自分に対してすごく《前向き》になれたという。そして、「今回の研修で、自分は確実に変わった」と言い切る。
「こんなに指導した生徒はおまえが初めてや、・・・とまで言ってくれたんやで。こんないい先生、おらんやろ?症例研究もカンファレンスも、他の先生やったら、私はここまでできんかったと思うわ!」
一流の先生に教えてもらえたことが、いかに良い経験だったのか・・・。勉強に対し、こんなに嬉しそうに話す娘を見たのは、ずいぶん久しぶりだ。
「私が治療して、痛みが治まった人がたくさんいるねん。でもな、先生が治療すると、もっと楽になるんやって」
娘は、目をキラキラ輝かせて、先生の魅力を話し続ける・・・
「私はまだ足らんねん。だから、もっと勉強せなあかんねん。理学療法士って、患者さんを治さんと意味がないねん。どんなに大変で難しくても、それができるようにならんとあかんと思う。私、まだ、肩の治療がうまくいかんねん。友達に、肩を専門にしてる病院で研修してる子がいるし、教えてもらうわ」
どこでどう変わったのか、まるで自分の娘ではないような、《優等生》で《大人》なことを言う姿に、正直驚いた。
「自分ができないからって、患者さんに向かうことをためらったらあかん。できない自分を認め、自分を開いて、正直に接していく方がいいねん。そうしたら、患者さんだってわかってくれるし、私の治療の腕も上がっていくねん」
できない自分、自信のない自分をさらけ出してこそ前に進むことを、娘が《自分事》としてここまで言えるように導いてくださった先生に、ほんとうに感謝したい。
振り返って、自分はどうか・・・。
目の前の子どもたちに、そこまでの変容を迫れているだろうか。
もっと厳しく、もっとやさしく、プロとして恥じない姿で接していかなくてはと改めて思う。
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1月4日。
深い霧につつまれた、仕事始めの朝。
視界の悪さを憂い、負の気持ちになるか、スッと晴れた空間に出会った瞬間の安堵感を、喜びとして一歩を踏み出す力に変えるか。
改めて「受け止め方しだい」だな・・・と胸に刻む。
9時、教職員が集まり、年始の挨拶。
霧の話を引用しようかと考えたが、やはり一番に言うべきは「チーム・シガガク」。
昨年を締めくくるにあたって、いま最も大事にしたい意識だと、生徒教職員に伝えたこと。
それを改めて誓った。
強制されるのではなく、当たり前のこととして自然に出てくる信頼感や一体感。各部署ではできていても、学園全体ではどうか。表面上の言葉に終わっていないか。
さらなる高みをめざそうとしている時だからこそ、チームという意識を全員が再確認し、一歩踏み込んだ深いつながりを持ち、強い絆で結ばれた同志として、チームで仕事にあたっていきたいと思う。
添付の書は、校長机の前に掛かっているもの。
その言葉と筆運びは、常に私自身を映す鏡であり、師でもある。
今日は、2学期の終業式。
式辞で私が話したことの要点を、まとめておきたいと思います。
この2学期、ICT教育や地域連携、駅伝、硬式野球など、さまざまなところで滋賀学園を広く話題にしていただき、その頑張りを評価・応援していただいています。もちろん、大きく目立つことではなくても、日頃の継続的な取り組みや善行などの積み重ねによって、それらの言動が全体として滋賀学園へのメッセージとなり、多くの方に学校の良さを認めていただいています。
言い換えれば、みなさん一人ひとりが滋賀学園の「顔」であり、自分が直接関わっている・いないにかかわらず、滋賀学園に向けられている視線はすべて、全員が共通して受け止めなければならない、極めて大事なものです。
いまこそ「オール・シガガク」の気持ちを再認識し、滋賀学園の動きをすべて「自分事」として捉え、常にその一員であるという意識を忘れず行動してほしいと思います。個人やチームの頑張りや成果が、誰かに言われるからでなく、自然に「自分たち、みんなのもの」であると意識でき、それに応える振る舞いを全員ができるかどうか、滋賀学園はいまそれを試されている時でもあります。
滋賀学園の一員として、心から自分が所属している学校を愛せるか。生徒・教員みんなが一致団結して「チーム・シガガク」へとさらにもう一段階ステージアップする時だと思います。
ずっと言い続けている「どうせ無理といって、逃げるのはやめよう」ということにつながる話ですが、人は経験からしか学べないことを改めて感じています。
先日の全国高校駅伝で力走を見せてくれた滋賀学園陸上競技部の選手たちですが、あの高速レースを体験してこそ学べたことがあったと振り返ってくれています。アベック優勝を成し遂げた世羅高校。女子のレースでアンカーの選手が35秒の4位でタスキを受け取り、逆転したのも、これまでのさまざまな経験あっての結果でしょう。現実に、最終5区であのタイム差をひっくり返せる力を身につけることは、並大抵の練習ではないでしょう。メンタル面も含めて、経験から学んだことが大きく影響していると思います。
机上のプランや、頭の中で考えていることも、実際に「やってみて」こそ感じるリターンが何よりも大切であり、それが学びにつながります。自分が「これだ」と思ったことは、ぜひ行動に移してください。とにかくやってみる。失敗してもかまいません。そこから学べることの方が、やらないでいるよりずっと価値があります。
試合やステージパフォーマンスは、一回限りのワンチャンス。勝負に挑む人は、日々、過酷な練習を繰り返し、本番に臨んでいます。それこそ何百回、何千回のトレーニングの積み重ねによって、最高のパフォーマンスを発揮すべく、努力しています。
日々、学業やクラブ活動に励むみなさんもそうでしょうし、先週、父母教の教育講演会ですばらしい演奏を披露してくれた方々も、まさにそういった日々を過ごされています。
ですが、すばらしいパフォーマンスを発揮する人たちは、誰もが日常の「あたりまえの部分」も、例外なく手を抜かず、きちんとされています。挨拶、掃除、人の話をしっかり聞く、嫌なことでも進んでやる・・・など、日常生活をほんとうにしっかりされています。
かつて、同じような式辞の中で「勉強は人柄の集中表現だ!」と言ったことがありますが、めざすことだけに集中するあまり、他のことを疎かにするようでは何事も達成されないということは間違いありません。
今年の締めくくりにあたり、めざすことだけにフォーカスするのではなく、日常の何気ないこともふくめて大事にする。日々の生き方、姿勢そのものが全てに通じていることを、改めて認識してほしいと思います。
☆ ☆ ☆
最後に、年末年始の独特の雰囲気をプラスに活かし、有意義に過ごしてほしい・・・と話を締めくくろうとしました。
ところが、相変わらず「自分事」として聞いていない生徒が見えたので、「それでは、いくらすばらしい人が、いくらいい話をしても、決して自分のもにはならないよ・・・」と苦言を呈して、顔を上げるよう促しました。
どこまで気づいてくれたのか・・・。伝わるまで、繰り返し言い続けたいと思っています。
もちろん、それは生徒へのメッセージだけでなく、先生方への忠告でもあります。
すでに何人もの先生が、「先生が式辞でおっしゃることは、生徒だけでなく先生方への話でもあり、先生方にこそ聞いてほしいんじゃないですか・・・」とってくださるとおり、生徒だけでなく先生方に対しても、強く意識して言葉を紡いでいます。
まさに「オール・シガガク」、全員が一丸となって歩んでこそ意味があると思います。ごく自然に、それが当たり前のカタチになるまで頑張ります!
いろいろな方とお話しさせていただく中で、学校のあり方というか、将来の学校像について語ることが少なくありません。
私の基本姿勢は、「開かれた学校であること」。
言い換えれば、「学びの対象(生徒)と場所はこちら(学校側)が用意するので、どんどん教えに来てください」ということになるでしょうか。
あらかじめ用意された「与えられる学び」ではなく、自己責任において「自ら創り出す学び」への転換と言ってもいいかもしれません。
先日、Facebookにこんなことを綴りました。
教科の学習や生徒会、クラブ活動、地域活動など、生徒の学びを全て「project」として捉え、クラスや授業などの固定化された枠組みではなく、その時々で「何をしたいか」によって柔軟な集団(チーム)をつくり、お互いに学び合っていくようなスタイルの学校が創れたらいいな。
先生は固定化された指導者ではなく、ファシリテーターとして project に加わり、学びをデザインしていく役割を担う。もちろん、学校内部の人財だけでは足りないので、積極的に外部リソースとつながり、project に相応しい人財を just in time でチームに迎える。
1つの project が当初の目的を達成すれば、そのチームは解体し、新たな学び(やりたいこと)で新たなチームをつくっていく。
そうやって、必要な時間や空間を自由にアレンジしながら、ダイナミックに進めていける project 単位の real life な学び。
どう、ワクワクしない?
既存の「学校」という枠組みが、近代工業化時代に最適化されたカタチである以上、すでに過去のもの(私は、敢えてそのシステムが「破綻している」と言っていますが)になっているにもかかわらず、それを冷静に捉え、改善していく流れがどうも日和見になっているような気がしてなりません。
このまま、どこまで旧態依然としたカタチを踏襲していこうとするのか・・・
本校はいち早くその流れから脱し、学びの主体である子どもたちのために、必要な改革を進めていくことを、昨年の創立記念式典で宣言しました。
専願・併願問わず、本校の受験を考えているみなさんに多数ご参加いただき、学校のようすを知っていただくことができました。ありがとうございました。
中高の同時開催ということで、第1回オープンスクール同様、まずは9:20から始まる中学校の全体説明会で、ご挨拶を兼ねて学校の教育方針や、いま必要とされている力・・・などについてお話をさせていただきました。
その後、高校に移動し、保護者向けに最近の教育動向と21世紀に必要な力、またそれを育成していくために滋賀学園ではどうしているか・・・などについて、スライド(下記参照:最後の動画は音声付きです。閲覧時の音量にご注意ください。)を使いながら25分間にまとめ、お話をさせていただきました。
アンケートに、印象に残ったこととして “校長の話” を挙げ、「先進的な取り組みや学校の方針についてよく理解できた」「今後、どういう力が必要なのかがよくわかった」「オンリーワンの学校をめざして頑張ってください」などと、たいへん好意的なメッセージを残してくださった保護者が何名もおられ、トップがきちんと伝えることの意味を再認識しているところです。
ご期待を裏切らぬよう、さらなる改革・改善に向けて努力していきたいと思います。
今朝、滋賀県議会議員の冨波義明さんから、「高校のICT教育について、いろいろ取り組んでおられるようなので、一度お話を聞かせてほしい・・・」との電話をいただきました。
今日は終日校内におり、日中は特に来客予定もない旨をお伝えすると、「ちょうど私も空いてるし、午前中におじゃましますわ!」ってことで学校にお見えになり、じっくりと意見交換。
冨波さんは元県立高校の先生で、野球部の指導者として4回の春・夏甲子園大会出場経験をもっておられ、教育力の向上による「人つくり」をめざし精力的に活動されています。
話の内容をここで詳しくお伝えすることはできませんが、本校の事例や文科省の考え方、企業の動きなど、教育を取り巻くさまざまな事柄を挙げながら、「21世紀型教育のあり方」について熱く語り合いました。
同じような危機感からか、共感する部分が極めて多く、教育改革を前向きに捉えていただいている姿勢に感激しました。と同時に、さらに私たち現場の教職員が具体性のある実践を積み重ね、それを積極的に発信していかなければならないことを確信しました。
アンテナを高く張り、社会の流れを敏感にキャッチし、動き出している人がいろいろなところにおられます。「気づいて、動いたもん勝ち」なんてことをよく言うのですが、自分自身の行動を振り返っても、まさにこの言葉がピッタリくるような状況が続いています。
このままではいけないと感じ、動き出すことで得られること。それがいま、多方面からのニーズを生んでいます。
学校で、先生に反抗してばかりの子どもがいました。
・・・家で、何かにつけて親からきつく言われているのかもしれません。
学校で、友だちをいじめてばかりの子どもがいました。
・・・家で、お兄ちゃんから一方的に責められてばかりいるのかもしれません。
学校で、何でも先生がしてくれるのをずっと待っている子どもがいました。
・・・家で、何から何までお母さんが手を出しているのかもしれません。
学校で、いつも自分が一番でなきゃ気が済まない子どもがいました。
・・・家で、兄弟の誰よりも先に自分のことをしてもらっているのかもしれません。
学校で、まわりから自分がどう見られているかをすごく気にする子どもがいました。
・・・家で、近所の評判ばかりを気にしているお母さんがいるのかもしれません。
学校で、困っている友だちにいつも優しく接してくれる子どもがいました。
・・・家で、寝たきりのおばあちゃんの世話をすすんでやっているのかもしれません。
学校で、
・・・家で、
学校で目にする子どもたちの姿。それを表面的に捉えるだけでは、なぜそうなのか、どうしてそんなことをするのか、わからないことだらけです。
でも、ちょっと深く踏み込んで、家での様子、親や兄弟との関わりなどを具体的に聞いていくと、霧が晴れたように見えてくるものがあります。
「なんだ・・・、そういうことだったのか」
「そりゃ、あんなふうになるのも当然やね〜」
気持ちの揺らぎは、行動の端々に顔を出します。注意深く観察していなくても、子どもたちの方からサインを出してきます。ちょっと接するだけで、「あれっ、どうしたんやろ〜?」と思うことがいくつもあります。
ボクは、その原因を学校の中だけで探すのは難しい。というより、学校の中だけで探さないほうがいいと思います。
「学校で起こったことやん。原因は学校にあるに決まってる」
「学校で解決しなくてどうするの?」
確かに、そうでしょう。
でも、学校でのいろいろな出来事の多くは、その背景に「学校の外(=家庭)」の存在があります。
家でどんな過ごし方をしているか、どんな親子関係なのか、近所との付き合いはどうか、兄弟は? おじいちゃん、おばあちゃんは?
なかなか踏み込めないところかもしれません。そこまで関わる必要はないのかもしれません。一歩踏み込んだら最後、とことん付き合うハメになってしまうかもしれません。もしかしたら、関わったがために自分までがボロボロになってしまうかもしれません。
でも、子どもたちが学校で見せた姿に、疑問や不自然さ感じるのなら、とことんその原因を探っていくべきだと思います。
子どもに寄り添うためには、その子の生活に思いを馳せなければいけません。子どもを理解するためには、その子を取り巻く環境を知らなければなりません。
学校で子どもを育てるには、家で子どもを育てている「親」に学ばなければなりません。
最近の子どもたち・・・。「夢」がないのか、あるけど語れないのか。どうも現実的で、あきらめが早い。
ほら、もっと・・・こう、未来に向かってさぁ・・・
夢を紡ぐような言葉を投げかけてみても 、返ってくるのは決まって「どうせ○○○やん」って、素っ気ない返事ばかり。
そうかなぁ、そんなことないと思うんだけどなぁ・・・
極端な話、明日がどうなるかなんて誰にもわからないわけだし、今までフツーの中高生だった人が偶然、街で声をかけられたことが縁で、気がつけばアイドルになっていたっていうことだってある。
今まで嫌いだった英語の勉強にしても、海外留学をきっかけに英語に興味を持ち、検定にもどんどん挑戦。合格したら欲が出て、さらに勉強を積み重ね、やがて海外を飛び回ってバリバリ仕事をしているかもしれない。
それが人生ってもんでしょ!
どうして、頭の中だけで結果を決めつけるんでしょう。
やってみなくちゃわからない・・・
やれば違った結果が見えてくるかもしれないのに・・・
ずっと、教師としての自分に言い聞かせていたことがあります。「生徒と、ともに未来を語れるのが教師だ」と。
また、決まって最初の授業に言ってきたことは、「ボクの授業は、教科の内容を教える時間ではありません。教科をとおして人生を語る時間です」。
もちろん、今でもそれは生徒と接する原点になっています。
どうして素直に未来を語ろうとしないの?
未来はそんなに暗いの?
子どもたちの 「あきらめ」 気分にメスを入れて、一緒に未来を語れる教師でありたいと思います。